嫁の大腸癌闘病記 2ページ 本文へジャンプ


沖縄旅行記

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2005年6月20日 驚きのICU
 
入院まであまり日にちが無かったが、用意する物と言ってもパジャマなど着替えだし、手術に必要なT字帯(ふんどしじゃあ!)も薬局で買ったしあまりどたばたせずに入院の日を迎える。
 母と一緒に自宅から歩いて病院に向かう。荷物は自分で担いで行きました。母には一人で行けるから大丈夫と言っても、やっぱり心配なようで一緒に来てくれる事になりました。ちなみに母にはこの時点でまだ、大腸にでっかいポリープがあるとしか言っていなくて、できれば癌だと言う事は隠せるだけ隠したいなあ・・と思ってました。なんせ、前年に母の母(祖母)が癌で亡くなり落ち込んでいたところだったので、私の事で更に心配させたくないなあ・・と。
 病院へ向かうと(何てったって徒歩2分〜)看護士さんに「こちらへどうぞ」と案内されたのが『ICU』と書かれた部屋。『手術する前からいきなりICU?!』と戸惑いつつドアを開けると、そこはふつ〜の2人部屋・・『???』
部屋を見回すと向かって左の壁面が窓になっていてカーテンが掛かっているものの隙間から看護士さんの動く様子がチラチラ見える・・どうやら隣がナースステーションのようです。そういうことか。小さな病院のICUってこんな物なのね。と、ちょっとだけ納得。早速旦那に『ICUにいるからね。』とメールする。夕方やってきた旦那もメールを見て『ICU?!』って驚いたものの、来てみて納得との事(笑)
 夜勤明けで寝ていなかったので、入院したら寝ようと思っていたのに、検査検査・・身長体重から始まり、生まれて始めてのCT検査!造影剤って気持ち悪い〜(w_−; ウゥ・・ 検査技師さんが「造影剤注入すると体が熱くなりますが異常ではありませんからね〜」と言われ待っていると『おっ!?来た来た〜』ってな感じで主に何故かア・ソ・コが(ええ、要は恥骨周辺ですよ・・はい・・)熱くなり気持ち悪い〜早く終われ〜と思っている内に終了。このCTで大まかな転移の状況も解るのでドキドキしつつ病室で待つ。午前中に入院したものの検察続きで結局眠れず夕方になる・・。検査が終わると先生がやってきて「CTでは転移は無かったよ。」とのこと。ひとまず安心(*´∇`*)でも、腹膜播種(腹膜播種とは腹腔内に転移して居る状態のことです)は、とにかく開腹してみないとわからないから、まだまだ安心できず・・
 夕方、仕事が終わった旦那が見舞いにやって来る。「これを読んで勉強しなさい!」と本を渡される。題名は「大腸癌がわかる本」・・夕飯を食べ終わってから早速読み始める。(この病院は病室にテレビは無いのでし)ちなみに私の癌はS状結腸部分にできていました。それをふまえて読み進めると、目に入るのは
『生存率』腹膜播種していなければ1年後の生存率96%、腹膜播種していたら1年後の生存率は52%、5年後の生存率は18.6%・・その他にも『多発した腹膜播種の予後はきわめて不良』・・などなど。思わず泣けてきました。1年後の今日は私は死んでるかもしれない・・泣き止もうとしても涙は止まらず、様子を見に来た看護士さんに見つかってしまう(T^T)「大丈夫?そうだよね、何で自分がって思うよね・・」と優しく声と掛けられ、ようやく涙が止まる。ええいっ!!こんな手術直前にこんな本読ませるなんて旦那のバカぁ!!!!と心で叫びつつ眠りに落ちる。


2005年6月21日 手術前日 てい毛!
 昼から絶食・・夜9時から絶飲食で手術に備える。
 そして、どうするのかなあ?と思っていたギャランドウ。やって来ました看護士さん。「てい毛しますね」って、やっぱり・・パンツ下ろしてされるがままです。シャコシャコと泡を立ててあそこにぺトッ゙(ノ><)ノうきゃー!くすぐったい!剃刀でジョリジョリ・・結構あっという間に終わりました。夕方やって来た旦那に「ここだけ若返っちゃったよ・・」と報告&ご披露しました。
 気持ちは、案外落ち着いているものの常に心の隅には「生存率50%・・」
 しかし、不思議と手術への恐怖心は無く、とにかく早く切ってしまいたい!!そればかり願う
 夜、看護士さんが「寝たほうがいいから、眠れそうに無ければ眠剤出しますよ。」と言ってくださるも。「多分大丈夫です」と言う言葉の通り下剤でお腹ぴーが落ち着いた後は薬なしでぐっすり眠れる(。-ω-)zzz

2005年6月22日 手術当日!!
 手術は午後から。午前はお湯で浣腸2回(。>0<。)いい加減慣れましたよ・・ええ。しかし、その浣腸中に手術の応援にやってきたもう一人の先生が挨拶にやってくる(」°ロ°)」お腹はお湯でぱんぱんなのに「ちょっとお腹触らせてね」とお腹を押されそうになり、看護士さんが慌てて止めて下さる。やばかったです・・押されたら出ちゃいますΣ(|||▽||| )しかも先生若くてけっこう男前。複雑・・

 おしっこのカテーテル入れられ、鼻から胃まで通じる管を入れられ、旦那、母さん、親戚が集まりいよいよ手術・・その前に先生から旦那と母に手術の説明。尿道に転移してたら切って縫い合わせるなどなど・・このとき母は始めて癌だと知り、涙ぐみながら病室に帰ってくる。親不孝者でごめんなさい・・(泣)
 皆に見送られ車椅子で手術室へ「行ってきます〜」って、気づいたら手術室はICUの向かい『近っっ!!』特に緊張もせず「深呼吸して〜」と麻酔をかけられ意識は無くなる。実は全身麻酔は2回目だったのであんまし怖くなかったのです。1回目は6歳のときに扁桃腺を取るためにしたのでした。
 「終わりましたよ〜」と言われて気が付けば。既に病室に戻っていて親戚が更に増えている・・傷は痛くなかったけれども腰が痛いっ!!そうだ!「腹膜播種してた?」と旦那に聞くも「それはもう少し経ってから」と教えてもらえず。それにしても腰が痛くて看護士さんがさすってくれたり、枕を入れて体制を変えてくれたりしものの痛さに変わりは無し、旦那はベット脇で「どんな風に痛いの?ずきずき?しくしく?」と聞くので「う〜ん、ずっきんずっきん」などとやりとりするも痛さ変わらず看護士さんもしまいには「眠ります?」って、「そうしてくだい」としばらく眠らせてもらう。
 一眠りして目覚めると夜で腰の痛みは無くなっている。でも熱が出たようで体がだるい・・ちなみに、この病院今時珍しく付き添い有りなんです。ってな訳で隣のベットには旦那が寝てました。隣の様子を見ると、良く寝てます・・看護士さんが頻繁に出入りして脇にも冷却材入れたり、鼻のチューブから胃の内容物吸いだしたり、体制変えてくれたり・・その度に旦那の様子を見るも、やっぱり寝てる・・ふと足元をみると、何故かそこに母が座っている。『幻か?!』と思ったけれども、やっぱり本物!一旦は帰ったものの気になって夜中にやって来たとの事・・つくづくごめんなさい。でも、お母様・・夜中に突然現れたら怖いです!!lllll(-_-;)llllll熱のせいか朦朧としつつ一晩過ごしました。


2005年6月23日
 朝、私がしっかり目覚めたのを確認してから母帰宅。お疲れ様〜朝には熱も微熱程度になる。
 体を動かしてみると、お腹の中身が動いているような・・・気持ち悪っっ。朝、看護士さんが歯磨きして口の中をすすいでくれたので、ちょっぴりすっきり。
 昼頃に姉がやって来る。先生がやって来て傷の消毒とガーゼ交換して、そして鼻の管とおしっこの管抜いて良いよ、と看護士さんに伝えて去ってゆく。やった〜!!鼻チューブは辛いです(T_T)動くたびにのどの奥に当たり、おえっっ!てなります(T_T)そして、無事鼻チューブさよなら〜すっきり!!その後、看護士さんが熱いお湯を持ってきてくれて体を拭いてくれる。気持ちよいのだが、動くの辛〜いヾ(@† ▽ †@)ベットのふちに座るだけなのに痛い・・いだだだだ。背中から硬膜外麻酔入ってるから動かなければ殆ど痛くないけど、やっぱり動くと痛い・・でも、その後に横を向いてから柵につかまって体を起こすと痛くないことに気づきずいぶん楽になりました。って最初から気づけっ!その後おしっこの管も取れてベットの隣に置いてもらったポータブルトイレに座るも・・出ない・・でも、やっぱり行きたい〜ちゃんとトイレに行ったら出るかも・・と思い何とかトイレまで行って座ってみる。・・・でも出ない・・(T_T)夕方まで待っても出ないので仕方なく再び管を入れて導尿してもらうと何とか出ました。その後からは、自力で出せるようになりました『ほっ』

 夕方旦那に笑わされ、痛みにもだえ苦しみました・・恨む( ̄皿 ̄;;
 でも旦那は、昨日私の切り取った腸(15cmくらい)を触ったそうで(手袋はしてたけどね)「当分ホルモン食べられないよ・・」とげっそりしてました。細くなっていた部分はすんごく硬かったそうだ・

 二日目の付き添いは姉。やっぱり隣でよく寝てます。夜トイレに起きたけれども、起こさないようにそ〜っと起きました。病院のベットって意外とよく眠れるんですね。

2005年6月24日
 
痛みが少し弱くなる。朝から洗面所まで歩いて行くが帰り立ちくらみがして、途中から車椅子で帰ってくる。そのせいか頭が痛いような重いようなすっきりしない・・

2005年6月25日 転移
 朝夕看護士さんから「便は出ました?ガスは出ました?」と聞かれるものの、出ないです・・「思いっきり力んでも繋げた腸が破ける心配なんてないからね」ってw(*゚o゚*)wびっくり。そうなのか、でもまだ傷が痛くてそんなに力めましぇん・・でも、そろそろ出ないといけないらしい。そこで毎度おなじみの下剤・・今回は座薬タイプです。看護士さんに入れてもらってしばし待つ。そしてトイレへ・・・出たっ!ほんのちょっぴりだけど・・しかし、3日絶食しても出るものなのね。不思議・・腸が動き出したので水が解禁ヽ(^◇^*)/でも、ずっーーと点滴しているせいか意外とお腹は減らない。傷の痛みは日々和らいでます。
 ガーゼ交換の時に傷口を見せてもらったら思ってたより、でかっっΣ(゚д゚;) おへその横から恥骨の上までありました。ま、仕方ないやね・・と、あっさり認める嫁でした。
 旦那は、まだ付き添って泊まってくれています。そろそろ、と思い「腹膜播種してたの?」と聞いてみると。「してたって。でも先生が全部とってくれたって」・・・・・そうか、してたのか。でも、取れたと言う事は手遅れではなかったんだよね。子宮の周りとかを中心に十数箇所にゴマみたいなのが転移していたそうで、先生がそれを一つ一つ、しつこく焼いてくれたそうです。何だか、心配していた時より転移していたって解ってからの方が腹が据わったと言うか意外とショックではなかった。開き直ったと言うか・・むしろ1年後に生存率50%もあるんだから1/2なら生き残れる自信ありっ!!
 その晩珍しくお腹が痛くて目が覚め、看護士さんに痛み止めの座薬を入れてもらう・・

2005年6月26日
 
朝から腹部レントゲンを撮る。昨日から始まったお水もとりあえず禁止(T-T)先生いわく「腸にガスが溜まってぱんぱんになってるからお腹痛かったんだね」との事。再び下剤の座薬登場!無事に腸を動かし夕飯からいよいよ食事開始!
 の前に、背中に入っていた硬膜外麻酔を外す。外したけれど痛みが強くなるわけでもなく一安心。
 夕飯は『おもゆ、味噌汁の汁のみ』スプーンで一口づつ飲む。ほんの少しなのにあっという間にお腹が一杯になる。
                              
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